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札幌市議会「憲法96条の改正に反対する意見書」案に反対です!

今日、6月の定例市議会が終わりました。
補正予算や条例改正、意見書の採決などが行われました。
今回、意見書の一つとして、「日本国憲法96条の改正に反対する意見書」が、民主党・
共産党等から提案され、残念ながら公明党を含む賛成多数で可決されてしまいました。
(反対は自民、みんな)
平成25年度北海道最低賃金改正等に関する意見書(PDF:85KB)(札幌市議会HPへリンク)
意見書の言い分としては、96条改正は「立憲主義と基本的人権を否定するもの」
いうことですが、まったく頓珍漢な理由で意味不明だと思います。
憲法96条では、国会が憲法改正の発議を行うにあたって、各議員の2/3の賛成を
必要としているところを、過半数の賛成にハードルを引き下げようというのが改正の
考え方です。
あくまで改正を国民に問う「発議」ですから、実際に憲法を変えるかどうかは、その後
行われる国民投票で決まります。
憲法は制定後60数年経って、社会も文化も時代もずいぶん変わってきていて、
二院制や首相公選制、地方自治、象徴天皇制、新しい人権など、リニューアルが
必要な項目が多数あると思います。
歴史や文化を大切にするのは分かりますが、憲法はあくまで国家の枠組みですから、
国民が暮らしやすいように、未来の良い国になるように、社会の変化に合わせて柔軟
に変えていくことが必要だと私は思います。
この意見書を出した人たちは、憲法改正が発議されて国民が正しい判断をするのが
そんなに怖いのでしょうか。
よく「護憲」という方がいます。
いまの憲法を大切にしようというのです。
私も小中学校で、いまの憲法がいかに平和主義で素晴らしいかを、徹底的にたたき
込まれ、「世界で率先して武力を放棄した日本は素晴らしい国だ」と思っていました。
しかし、大人になってよくよく考えたら、これは大嘘で、戦後のドサクサに連合国軍が
戦勝国の立場で都合良く日本を支配するために作った憲法であることに気づきました。
じっくり憲法を読んでみれば、日本語がいかにも翻訳調で怪しいですし、日本の良き
文化や伝統を徹底して否定しているのも、日本人の発想とは到底思えません。
戦後60数年経ち、そろそろ日本も本当の意味で独立国になった方がよいのではない
かと思うのです。
私は地方議員で憲法をどうこうする立場ではないのですが、こんなおかしな意見書が
議会ですんなり可決されるのが一人の日本人としてどうにも悔しく、せめてもの抵抗と
思い演台に立って、意見書へ反対演説を行いました。
 (※演説の全文は、下記にあります)
民主党や共産党の議員から、いままで経験したことのないヤジが飛んできました。
演説が終わると拍手と怒号が激しく入り乱れました。
本会議終了後には、民主党の長老議員が殴りかからんばかりに近寄ってきて、
「おまえこの野郎!」「気をつけろよ!」と口汚く因縁を付けてきました。
私はいまでこそ4年任期の市議会議員ですが、そもそも発想は民間のサラリーマンで、
職業議員、政党活動家ではなく、普通の市民の代表だと思っています。
一市民の目線で思ったことを普通に議会で語っただけで、憲法を変えるかどうかは
冷静に国民で議論すれば良いと思うのですが、今日の議会での左翼系職業議員の
発狂ぶりを見ると、いかに彼らが市民からズレているかを痛感させられます。
このような考え方の議員が大多数を占めている限りは、真の納税者のための市政は
困難だと思います。
私が行った反対討論の全文は下記の通りです。


私は意見書案の採決に当たり、議案9号「日本国憲法第96条改正に反対する意見書」
について、反対の立場から討論を行います。
96条改正は、社会情勢や国民世論の変化に合わせて国の枠組みを柔軟に改正する
ため、憲法改正の発議要件を衆参各院の「3分の2」から「過半数」に引き下げるものです。
意見書案は「国家権力の都合で憲法改正できる状況を生み出す」と批判していますが、
国会で憲法改正が発議されれば国民投票が行われ、憲法を改正するかどうかは「権力
者」ではなく国民が判断するわけですから、これらの批判はまったくあたりません。
最近の世論調査によると国民の半数以上が憲法96条改正を支持しており、衆議院でも
3分の2以上の国会議員が賛成の意向を示しています。
にもかかわらず、わずか3分の1を超える参議院議員が反対すれば、憲法改正を国民
に問う発議すらできないというのは、いわば、憲法は国民のものではなく、3分の1の
参議院議員のものになってしまっているともいえます。
もしこの発議要件を3分の1から過半数に引き下げれば、国民自らが憲法改正の是非
について投票により判断する機会が生まれます。
日本国憲法は、戦後に連合国占領軍に武力で押しつけられてからこのかた60数年、
国民による審判を受けたことはまだ一度もありません。
つまり、日本国憲法は占領軍による占領軍のための憲法であり、96条改正を行うことに
よって、憲法が初めて「国民による国民のための憲法」になるのです。
96条改正は、このように単なる憲法改正手続きの改正ではなく、国家の柱とも言うべき
憲法を他国のものではなく「国民のもの」にするという大変重要な意義を持っています。
憲法改正に賛成するのも反対するのもすべては国民の自由であり、意見書案が言う
ように「立憲主義と基本的人権を否定する」とはまさに牽強付会、既得権益を守りたい
人が憲法を変えたくないだけのこじつけと言わざるを得ません。
一部には、「96条改正は9条改正を意識したものは明白である」という批判があるよう
ですが、今回の論点はあくまで発議要件の緩和であります。
なお蛇足ですが、憲法第9条改正について様々な意見があることは承知していますが、
私は9条改正に大いに賛成であります。
なぜならば、現下の緊迫した国際情勢を鑑みれば、今の憲法第9条で日本の平和と
安全を守るのは極めて困難だと思うからです。
皆様ご存じの通り、我が国固有の領土である尖閣諸島に、中国の艦船や航空機が連日
我が物顔で迫るなか、他国による領海侵犯という悪意を持った実力行使に対して、いま
の憲法では自衛権の行使は許されておらず、日本はただマイクで立ち退きを呼びかける
ことしか出来ません。
「尖閣は中国の領土」「沖縄は中国の領土」と声高に主張する隣国が、強大な軍事力と
核兵器で威嚇しながら我が国の領土領海領空をいままさに実力で奪わんとしているのに、
丸腰でただ「平和」「平和」と念仏のように唱えるだけでは、長い歴史と文化を誇る我が国
の主権と領土、国民の独立を守ることは出来ません。
日本は憲法で武力を放棄し、国家の礎たる安全保障を事実上、かつての敵国である
アメリカに委ねています。
戦後、日本が奇跡の経済成長を実現しながら、まだ主権国家としては依然半人前であり、
本当の意味での日本の再生と独立を勝ち取るには、国防を他国に依存する憲法をいつか
は改める必要があります。
国防だけでなく、道州制を含めた地方自治のあり方や両院制の見直し、首相公選制の導入、
象徴天皇制のあり方、新しい国民の人権など、いまの憲法について、時代に合わせた
改革が求められる項目も多数にのぼるのではないでしょうか。
このような考え方から私は憲法96条改正に賛成するとともに、9条改正をはじめとした
国民の手による真の自主憲法制定についても、大きな国民的議論を興すべきことをここに
訴えるものであります。


 

コメント

  1. 小学生でも解る簡単なロジックがなぜ理解できないのでしょうか?
    「憲法改正反対原理主義」はもう宗教の域に達してますから(笑)。
    ロジックで話の通じる相手ではありません。
    左翼系職業議員の方々は早い話が市民なんかどうでも良く、自らが
    「政治理念」と勘違いしている妄想を唱え続けることが議員の使命と
    考えていらっしゃる。ある意味幸せかもしれません。
    市政にとって何の役にも立たないのが難点ですが(笑)。
    しかしその議員を議会に送り込んだのは我々市民ですから、我々も
    反省すべき点はあります。
    正しいことは正しいと、これからも主張し続けて下さい。
    応援しています。