先日、北大図書館でアイヌ民族に関するひとつの文献にたどり着きました。
アイヌ出身の故・知里眞志保北海道大学教授が昭和29年に朝日文化賞を受賞されたとき、
北海道大学新聞に寄せた談話です。
「なぜアイヌのみ異民族扱い」と、いささか衝撃的なタイトルが付されています。
(写真は北海道大学新聞縮刷版1955年1月31日号から)
写真は字が小さいため、読みやすいように全文を引用します。
今では民族と人種の差は常識でしょう。私達いわゆるアイヌといわれている者もやはり全部日本人なのです。日本語を使い、日本人の生活をし、似教を奉じているのです。
ですからいわゆるアイヌ系日本人なのです。
所が、なぜアイヌのみが日本人の中で異民族扱いを受けるのでしょう。これは去年行われた熊祭りに見られるように未だに沢山の日本人がアイヌを見せ物根性で見、特異な者として見たがるところから来ているのです。
内地から人が来たりすると白老などのアイヌ部落を見せたがる。そして駅のホームには”附近名所白老アイヌ部落”と大書してある。このようにアイヌを見世物にしようとする考え方が日本人全体の内にある。しかし、このようなことは今始まったことではなく、日本書紀にもアイヌが遣唐使に連れられて中国に見世物にされたとあり、また幕末に書かれた旅行記の中に「人と書いてシャモという。エゾと書いてアイヌという」と書かれている。また十勝のエリモ岬にあるビロウというところに近藤重蔵がたてたという立て札にも「今は人もエゾも」とあり、また津軽藩のアイヌに対するフレ書の中に「エゾを人に取り立てる」とある。このように見るとアイヌは人ではなく、何かほかの動物のように思われます。このような者の考え方の残滓を今の日本人は早く拭い去ってほしいものです。
また多くの人々は民族の文化の保存といいますが、現実にはアイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまって、その後はいわゆるアイヌ系日本人に寄ってその文化が多少とも保たれてきたわけです。そういう意味で、このようなものを今のうちに研究しておくことは絶対必要です。現に全道でユウカラを立派に歌えるのは十人くらいでしょう。しかしこのような文化の保存はアイヌにやらせるべきではなく、日本の学者がやるべきです。アイヌを今までの文化、生活様式の中で住まわせておこうなどとはとんでもないことです。また文化保存の意味でこのようなものを上演するのはいいが、古代の風俗そのままに上演する必要は無いし、その精神、形式がその自体にマッチするようなやり方でしなければいけないでしょう。
冒頭の「民族と人種の差は常識でしょう」との記述に注目が必要です。
「民族」とは言語や文化、宗教、歴史などに基づく後天的なもので、「人種」とは
生物学的な特徴に基づく先天的なものです。
私の主張に対して一部のマスコミが感情的な批判報道を繰り返していますが、この
民族と人種の違いを意識的に混同して書いているように思えてなりません。
明治生まれの知里先生が「アイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまった」と書いて
おられるとおり、その民族性はアイヌをルーツに持つ日本人に引き継がれたのです。
「私達アイヌと言われている者もやはり全部日本人なのです」との言葉にアイヌ文化に
一生涯を賭けた先生の思いが凝縮されていると思います。
先日引用した平凡社の世界大百科事典は、その後「差別だ」とするクレームがあり、
知里先生の没後数十年を経て、なんと出版社が当該部分を削除してしまったとのこと。
「差別」の一言で言論を封殺する手法がいまだに見られることは残念でなりません。
今日ですらこれだけタブー視されるこのアイヌ民族問題をいまから半世紀以上も前に
問題提起した知里先生の勇気は想像を絶するものがあったと思います。
たとえ事典から文章が削除されようとも、「民族」「差別」を叫び経済的利益を得る
生き様に警鐘を鳴らした知里先生の見識の輝きは決して消えることはないはずです。
コメント
金子市議は「アイヌとはなんぞや」の追求より「アイヌ利権」に食いつく輩の追求をしたほうが得策。
いつまでも「アイヌとは」ばかりを論じる人が多くなり、焦点がぼやける。
アイヌ認定者は◯人。
つぎ込んでいる税金◯億円。
そのうち◯受給を受けている人は◯人。
そのうち返済がされていない金額が◯円。
という具合に数字で整然と出すほうが説得力あり。
>Posted by 市民 at
支持者が有権者である必要性が理解できない。
もしそうならば、私は有権者ではないからコメントする権利はないのだろうか???
>金子市議に「言動は撤回しない」ならば、私費で説明会見を開く
その道理ってなんだい???
時間かけて、色々な意見に目を通す時間くらい必要でしょう。。。
そして、考えをまとめて説明会に臨んだ結果、支持派も不支持派、或いは中立かどちらか判らない人まで、納得できるなら良いと思いますがね。
>ブログ解析
客観性のあるデータとは、どうやって採るんだい?
この市議の発言の記事を知らないで、いきなり質問されても困るだろうしね。。。
>この金子議員のブログやツイートを遡って読んでみて…
ここまで、勘ぐったら冷静な判断の下で議論はできない。
まぁ、ここまでは反論で。。。
以下の部分については、これが本音だと思うよ!!
>
………………………………………..
金子快之@札幌市 @kaneko_yasuyuki
今日の市議会で「アイヌと大和民族のどちらが先住民族か?」の議論が交わされていました。西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話のように思いました。同じ日本人に無理やり色を付けて、不透明な特権を与えることが一番の問題ではないか、と思います。
https://twitter.com/kaneko_yasuyuki/status/445556481115435008
………………………………………….
つまり【制度や権利を悪用している関係者・団体】を追求するために、「アイヌと大和民族のどちらが先住民族か?」の議論は必要ない。
だから【アイヌ民族の存亡】についても、持論を展開出来たと考えるのが妥当でしょう???
ただし、【アイヌ民族の存亡】を議論したって、市議の立場からすると、【存亡】に関係なく【制度や権利を悪用している関係者・団体】を追求できるんだ。
批判する人は皆、【利権の追求には賛成】している!!
だからこそ、【利権の追求】に【アイヌ民族の存亡】は、論拠として成立していないという点において、【謝罪と訂正】を求めているのでしょ???
違うかな???
先のコメントで「負けないで」と申しましたが・・・
コトが大きくなり心配しています。
負けてもいい。(とはいえ本当の負けってナニ?)
命を粗末にされませんように。
中川 昭一さん他、大勢の正義の政治家たちが死に至らしめられています。
それでも世の中は相変わらずです。
どうか、ほどほどにガーンバッ(^.^)/
どう転ぼうが応援しています!
・アイヌ独特のDNAを持った人がアイヌ。
・アイヌの言葉をしゃべり、伝統を継承する人がアイヌ。
・アイヌの気持ちがわかる人がアイヌ。
・アイヌになりたい人がアイヌ。
・アイヌの特権が欲しい人がアイヌ。
・アイヌの遠い祖先を持った人がアイヌ。
・アイヌの文化が大好きな人がアイヌ。
・アイヌと結婚した人がアイヌ。
・アイヌの養子になった人がアイヌ。
・アイヌの木彫りをする人がアイヌ。
・アイヌを自称している人がアイヌ。
・アイヌを利用したい人がアイヌ。
アイヌ協会の認定基準ってどれ?
新党大地の鈴木宗男氏のブログで、金子が批判されてたぞ。
アイヌという言葉はともかくとして、北海道という土地柄は、今住んでいる人のほとんどが本土からの入植者ではないのか、というところが出発点になると思います。
それから、本土の文化をどんどん浸透させていき、そこでそれまで生きていた人の文化が蔑ろにされてきた。文字を持たず口承により文化を伝えてきた人たちからすれば、本土の人たちから詐欺まがいのような方法で土地が巻き上げられていたのではないか、と想像することは容易です。現代の現実を見てみれば、オレオレ詐欺による莫大な被害が全国で発生しているわけで、その被害者は老人などの体が不自由で、頭もそう回らなくなってきた人たちです。組織を束ねるには、「言葉」と「文字」が統一されている必要があります。そういったものが統一されていない人たちは、そこが統一されている本土の人からすれば、格好の餌食だったのではないでしょうか。
そういうわけで、今そこで暮らしている多くの人たちの中には、そういった最初に住んでいた人たちに対して、「贖罪の意識」がどこかにあるのかもしれません。素朴に自然の中で生きていた人たちを蹂躙してきたわけですから。
そして、今政治の世界がそういった人たちから構成されているとすれば、贖罪意識のある人からすれば、先住民問題はタブーであり、金子議員のように、「日本人だぞ!」という意識がいの一番に来ている新参者からすれば、何の抵抗もなくこの問題に踏み込めるわけです。
贖罪意識は尊重すべき気高い精神であると私は思います。歴史から目を背けていません。金子議員の一連の発言の中には、このような意識が垣間見えず、それが乱暴に映るわけです。昔本土からやってきた入植者の暴力的な傾向が今蘇る、というような感じで、「市民のみなさん、みなさんはほとんど本土からの入植者じゃないですか。それではみなさんの血税、みなさんのために役立てるとすれば、どうでしょう、訳の分からないアイヌなどに使うより、みなさんのために徹底的に使うことが何よりも重要でしょう?」という展開になるのだと思います。
どうでしょうか。無念の思いを抱いてもそれが明確な形で残らないで蹂躙され死んでいったのです。これを今証明するのは難しい。
アイヌ協会の入会条件である、「と思われる」というのが、どれほどの基準をもって図られているのか、分かりません。在日朝鮮人に牛じられているため、特権として利用されているのだ、というお話がありましたが、どこまで本当なのか、分かりません。何にせよ、事実であるとすれば、糾弾すべき問題でしょう。
しかし、アイヌ問題というのは、実はとてもデリケートな問題だ、という認識も持たなければいけないのではないか、と考えています。タブー視してきたために、問題が先送りされてきたところはあるのかもしれません。しかし、逆を言えば、それだけデリケートな問題だったのかもしれない、という読みも、人間性としてとても重要だと思います。本土の人からすれば、文字も持たない、頭の悪い人たちだったかもしれないが、あの過酷な環境下、生きる術をしっかり持っていた人たちです。「今いる人たちの価値観を、強い日本の号令とともに、そういう人たちに強制するわけにはいかない」という、新たな感覚が養われることを期待しています。
朝日新聞なら「本質を直視せよ」と言うんだろうなぁって思ってたけど、
違ってたのでびっくり。
ちなみに話は逸れますが――
私の知る限り、アイヌも在日のようなメンタリティを持っていらっしゃる方々が少なからずいらっしゃいます。
彼らは、共産党員やかつて学生運動をしていた方々ととても仲がよく。
彼らが集うと、日本人がどれだけ「人でなし」だったかという話(炭鉱でむりやり朝鮮から強制労働に駆り出された朝鮮人や、土地を奪われたアイヌの悲話)を熱心に説き、どうやって報いてやろうかとばかり語らい合っていました。
(実は私もその話を長い間鵜呑みにしていました。)
そして彼らのギラギラの拝金主義を目の当たりに見てきました。
(私自身がその餌食になりかけたので身につまされてわかるのです。)
これらは人間の原罪に基づくものなのでしょう。
衆生のほとんどが私利私欲にまみれただただ欲望に翻弄される空蝉です。正義はあまりに空しい。
正義とは何ぞ?
生きるとは何ぞ?
誰も完璧な聖人君子ではありません。
このブログの主様にしても.
高飛車な発言を許されるなら、主様に一言。
反対勢力を侮るなかれ。
身の危険を感じたなら撤退して下さい。
正義のために犬死にすることなかれ。
市民さん
『「アイヌと大和民族のどちらが先住民族か?」の議論が交わされていました。西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話のように思いました。同じ日本人に無理やり色を付けて、不透明な特権を与えることが一番の問題ではないか、と思います。
https://twitter.com/kaneko_yasuyuki/status/445556481115435008
………………………………………….
西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話のように思いました
これ酷くないですか?札幌市議としてどうなんでしょう。』
(Posted by 市民 at 2014年08月21日 12:41)
「どうでも良い」をどう評価するかによるんじゃないでしょうか。
「アイヌと大和民族のどちらが先住民族か?」の”どちらが先住”については、正直どうでも良いような気がします。「どちらが先住」なのかを追求するあまり、石器時代にまで遡って議論するとか、考古学や民俗学の見地からなら重要かもしれませんが。
それより、いかに「アイヌ」の方々が苦難をされてきたのか、とか。
現状はどうなのか、とか。
それに併せた必要な施策はなにか、とか。
これらは「石器時代に先に住んでいたのはこっちだ、どっちだ」で左右される話では無いと思いませんか?
まぁ『西宮生まれ、千葉育ちの私は』ってのは、余計なひと言だとは思いますけど。
(↑余計なひと言が好きな人なんですかね)
(と言っても、議員自身も「石器時代が・・・」とか呟いてますけどね)
もちろん、利権の問題、不正の問題もありますし。
アイヌ人の文化は保存しなければならない
同時にアイヌ人自身が望むものでなければならない
当該議員を『余所者』で論破しようとする者は当該団体が『余所者』で組織されてる事にも言及しなければならない
と考えるが屁理屈で返されるんだろうな(笑)
バカにつける薬は、ありませんね。
現代には、現代のやり方があるんですよ。
いつまでも、過去のやり方を羨んで、現代のやり方を悲観するのは、歳のせいですね!
除名処分にならなかったのは、痛恨の痛手です。
早くこの市議を辞めさせべきです。
利権について言いたいなら、アイヌと日本人についての記述は不要!
Posted by 札幌市民の日本国民 at
じゃぁ、これはどうはんろんするの???
http://mimizun.com/log/2ch/hokkaido/964261759/
私って、暇でしょう???
札幌市民として、金子議員を断固支持します。
アイヌ文化は大切だし保存すべきです。
ただし、アイヌ利権は撤廃しましょう!
周りの道民もアイヌ民族への差別やイジメはみたことないと言ってました。
日本人であるアイヌ系の人に特権は不要です。熊襲にも特権は無いです。
赤の大地の反日左翼に負けないで。
奴らは、揚げ足取りや話のすり替えや人格攻撃でごまかして(反日左翼の常套手段)、自分の利権維持目的なのがまる見えの文章です。
自己中の反日左翼は日本のことなんか考えてません。
知り合いの札幌市民にも、真の日本人の正論を言う金子議員の応援をお願いしていきます。
もともと北海道は、本州から優秀な人が来て公共を良くしてくれたおかげで発展してきました。
一札幌市民からのお願いは、金子議員に北海道の膿を出して北海道を日本を良くしていただきたいということです。
アイヌ文化は保存すべきです。
アイヌ利権は撤廃!
北教組解体!道新解体!
日本を守ろう!
アウトロウ改さま
いろいろ教えていただきありがとうございました。
札幌市民のれいです。
アイヌの人たちは日本人と同化するためにたくさんの苦労をなされたんですね。
私は国語の先生ではないので日本語のニュアンスでとらえてしまいました。
金子市議の発言についても彼は政治家であり、国語の専門家ではないのでこのようなこともあるのかなと個人的には考えております。
金子市議はこの発言を通して市議としてアイヌに絡む利権について述べていると解釈しました。そのことに彼の信念を感じ、応援しております。
支持者=必ずしも有権者ではありません
次期市議選にも立候補されるとは公表されていませんが、
金子議員は東区選出で10,584票もの得票で当選された方です。
すなわち、東区の10,584票を投じてくれた有権者に対して政治家として
「言動は撤回しない」ならば、私費で説明会見を開いて筋を通す責任が
あり、時間を引き延ばしにするだけ余計1つ1つの言動が正しくても
色眼鏡で見て考えてしまうのは世の常。
ブログ解析
ブログコメントの1つ1つを数えてもインターネット上での賛否他は
このブログの存在を知っている人で閲覧するが書き込んでいない人や
パソコン・スマホなど手段を持たない人を含むとなれば統計をとっても
客観性にかけるデータの一部でしょう。
私がこの金子議員のブログやツイートを遡って読んでみて
情報開示請求によって得た文献・会計やアンケートを含めた統計数値
の評価書を作成して議会や有権者である東区民に向けているようにしか
感じません。
与野党会派の違いはあれど、直接相手方に出向いて政務調査を実施
されている議員が多いのに対して、金子議員個人が興味を示した
案件のみ良(好)評価し後の議員については「無駄」の様な扱いを
されてませんか?
…………………………………………
金子快之@札幌市 @kaneko_yasuyuki
今日の市議会で「アイヌと大和民族のどちらが先住民族か?」の議論が交わされていました。西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話のように思いました。同じ日本人に無理やり色を付けて、不透明な特権を与えることが一番の問題ではないか、と思います。
https://twitter.com/kaneko_yasuyuki/status/445556481115435008
………………………………………….
西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話のように思いました
これ酷くないですか?札幌市議としてどうなんでしょう。
『民族性を保持といっても民族の定義にアイヌはあてはまるんでしょうか。
せいぜい部族、アフリカ黒人部族とそんなに変わらないように見えます。
和人との争いは史実に残っているけど民族としての戦いではないでしょう。』
そうですね。そういう考え方もあるかも。
例えば、ネイティブアメリカン(昔の言い方だとインディアン)も、一つの民族では無いですよね。彼らも「民族」として白人と戦ったと言う事ではないですよね。
・・・ただ、まぁ「民族」であろうと「部族」であろうろ、
「和人」が入ってきたことによって、「アイヌ」との間に不幸な事が起きたのは間違い無いんだろうと思います。
『アイヌは、600年間くらいの和人と仲のよい交流で混ざり同化しみな日本人。平和に暮らす。』なんて書いてた人が居ますけど、議員自身がこのブログに『明治時代の北海道旧土人保護法以来、アイヌの方々にはご労苦があったでしょうし、私もアイヌ文化や歴史を否定するものではありません。』と書いてるところからも、仲良く何の問題も無く同化していったとは考えにくいですよね。
『本州生まれの本州育ちの彼だからこそ厳しい意見として尊重すべきだと思います。』
利権問題に関しては「本州育ち」とか「道産子」とか関係なく、厳しい意見も尊重されるべきだと思います。そこに異論がある人は<ほとんど>居ませんよね。
しかし『アイヌ民族なんて、いまはもういない』というのも「本州育ち」の「厳しい意見」なんでしょうか?
日本人の美徳として「他人に優しく、自分に厳しく」というのがあると思います。
まー、「他人に優しく」は過ぎるとアレなんですけど、少なくとも「他人に厳しく」であれば、それ以上に【自分のも厳しく】なくてはいけないんじゃないでしょうか、日本人の美徳からして。
その観点で「アイヌ」と「和人」の関係を考えたとき、「アイヌ民族はもういない」と言い切るだけではなく、「そう至った背景には、和人も考えなきゃいけないことがたくさんある」くらいの言葉は添えて欲しかったですよ。
(念のため書き添えますが、議員の発言は「アイヌは民族の定義に当てはまらない」という趣旨だったとは到底思えません)
★もちろん、これと利権や不正の問題は別ですよ。不正を糾すのに「和人が悪い」「アイヌが悪い」も無いでしょう。悪いのは「不正をしている連中」や、そういう構造を支えている連中、見て見ぬふりをする連中です。★
【支持】ってのが、議員の「アイヌはもういない」という発言そのものを「支持」なのか、
それはさておき、議員の利権追求の姿勢を「指示」なのか、とか。
集計の仕方に恣意的なものを感じる。
結構複雑な話になってるので
【議員の人柄・資質の支持のみを表明】
【発言そのものを支持】
【利権追求の姿勢を支持(発言には言及せず)】
【利権追求の姿勢は支持(発言内容は不支持)】
【発言を批判(利権追求に関しては言及せず)】
【発言を批判(利権追求姿勢も批判)】
【議員の資質または人間性のみを批判】
【その他-読者同士の言い争いなど】
これくらいに分類しても良いんじゃないかな。
ブログへのコメント数だけでなく、Facebookでのコメント欄とか、議員の当該ツイートへのリプライも集計してみましょうよ。特にFacebookは実名原則なだけに実情に近いんじゃないかな。
>Posted by きこり at
補足ですがね。。。
金子市議の【アイヌの存亡】に関わる発言は、結局必要なかったと言うことです。
ここは理解して頂けると思いますが。。。
別件だが。。。
この【北洋新聞】。。。、
【支持】【批判】【その他】のコメント数で優劣決めないで欲しいよね。
しかも【支持】【不支持】【その他】ならわかるけれど。。。
【支持】
アイヌ利権を問題視するものや、ハッキリ意見を言う姿勢を評価するものが目立った。
また、「アイヌ民族を差別しない」という観点から「アイヌ民族はいない」との意見もあった。
【批判】
「アイヌ民族の感情に配慮しながら利権問題を追及すべき」との意見が多く、利権の正当性を主張するコメントは少なかった。また、議員としての資質を問う声もあった。18日の記事では、読者同士の言い争いが目立ち、「その他」に分類するケースが増えた。
概ね、あってるのではないか???
ブログへのコメントを分析しました。
http://www.hokuyonp.com/2014/08/21/